1995-06-01 第132回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第11号
人々は、家財を荷馬車や大人車に載せたり背に負うたりして逃げまどい、路上はそれらの人と荷物によって、充満した。火がそれらの荷物に引火し、人々は荷物や大人車等に逃げ道をぶさがれて焼死。火勢はさらにつのって延焼していったのである。こう言っているわけであります。
人々は、家財を荷馬車や大人車に載せたり背に負うたりして逃げまどい、路上はそれらの人と荷物によって、充満した。火がそれらの荷物に引火し、人々は荷物や大人車等に逃げ道をぶさがれて焼死。火勢はさらにつのって延焼していったのである。こう言っているわけであります。
○江藤国務大臣 戦後、考えてみますと、日本の運送というのは荷馬車で始まったと私は思っております。荷馬車と内航海運程度だったものが、急速に物流業界にトラックというものが参入してきて、今やトンキロ数でいうと九割を占めるようになった。業者数も三万八千にもなった。ということは、実は急速に伸びてきた一つの産業でありまして、何万人という従業員を使うところもあれば、家族労働みたいにやっているところもある。
トラック業界というのを考えてみると、私どもの小さい時代は実は荷馬車でありまして、トラックというのは我々の九州の田舎にはほとんどありませんでした。それがわずかな期間のうちに一台親方がどんどん出てきて、時代の趨勢とともに台数をふやして、そして合資会社となり株式会社となってどんどん台数をふやし、従業員をふやしてきた。
戦後ですと、まだ荷馬車運送の時代も我々宮崎やら鹿児島では随分あったのですが、そういうものはなくなって、農業でもフライト農業の時代だと言われるようになってきた。コンテナ輸送などというのも当然新しい分野であります。
そうして、最近になりましても、苦労なさる勤労国民の中で、荷馬車を引いて歩く人に対する荷馬車税という歴史があります。 働く勤労国民に対しては、苛酷な税体系をもって収奪に入る。
事実先ごろの運輸審議会の公聴会で、原岡常務理事がおっしゃっておることばの中に、現在の貨物駅の配置は荷馬車時代のもので、貨物列車は多くの駅に発着するので、四十七年度の貨物列車の平均スピードは時速二十七・二キロ、これを五十一年度には四十・三キロにしたい、スピード化してお客に利用してもらうためには集約が必要だ、集約にあたっては具体的にサービス低下にならないように配慮してやっていくというふうにおっしゃっておりますから
荷馬車が一日のうちに行動する距離ということで昔貨物駅が配置されたというふうに聞いておりますが、最近のトラックになりますとやはり行動距離が相当延びますので、私どもといたしましてはああやって四キロや五キロに一カ所ずつとまっていたのでは全然貨物列車の役をなさないということで、これは駅を少なくする、そのかわり集約駅においてはいいサービスをする、そして全体として正確に、しかも早く着くというサービス、貨物輸送全体
その場合は、いわば荷馬車時代の体系の中で、ものを空間的に、しかも時間的に面と線とをつなぎ合わせながら、やはりわれわれに対してのすべての需要をまかなわなければならないというところに、国鉄の駅体制もあったのではないかと考えております。
確かに立地の変化によって、昔の荷馬車、あるいは大八、リヤカーというような運搬形式が変わってきて、どうしてもやっぱり貨物駅の集約が必要になるだろうということはわかります。
ことに、貨物駅を先生方が見ていただければわかりますように、荷馬車時代の貨物駅であることはもう間違いないわけでございます。今日のように、ことにマテハンと私どもが専門的に呼びますが、荷役量というものの上昇、アップはたいへんなものでございます。また、その労働力の獲得というものは非常にむずかしいわけです。そういう意味から言えば、いわゆるターミナル駅の整備というものは非常に重要になってくるわけです。
いままでは鉄道は鉄道、自動車は自動車、あるいは荷馬車を使うというふうな、結節点でつながってない輸送であったものを、何とか鉄道とトラックによって一貫輸送するという方向に持ってまいらなければいけないというふうに思っているわけでございます。
ただ、その合理化の度合いあるいはその進み方でございますけれども、よくいわれますように、現在の駅の配置が、明治初年からの荷馬車あるいは人力車が唯一の交通機関であった当時の駅の配置でございまして、その駅の配置状態が大体平均で四キロというような状態でこざいました。
そのうちに荷馬車が通り、あるいはオートバイが通り、あるいはトラックが通り、自動車が通りということで、だんだん踏み広げられてしまっておる道路もございます。そうなりますと、そこにうちが建ち、自動車が通る。しかし、維持管理がはっきりしておりませんので、この道路の責任者が明確でない。
大体荷馬車時代のような駅の配置になっている。したがって、貨物列車の速度が非常におそいというふうなこともあります。いま根本的、抜本的な貨物輸送の対策を考えております。
これは御承知のように一世紀前に鉄道ができましたときに、荷馬車と人力車を補助機関として鉄道が独占しておった時代の形が今日まで続いているわけでございます。これを何とか合理化しなくちゃいけないということで、旅客駅につきましては駅を廃止——駅を廃止するということは利用を奪うことになるので廃止しないで、駅に張りつけている職員をそこから撤去する。
特にまた、最近の国鉄の貨物の状況を見ますと、昔のようないわゆる荷馬車的な貨物の輸送をしておった時代から、いわゆるフレートライナーとかあるいはコンテナというようなものに代表されます物資別、あるいは地域を固めまして、その地域相互を直通する貨物輸送、こういうことに重点が移りつつありますし、またそうしなければ一般の需要に追いつかない、需要をまかなうことができない……
それから貨物駅につきましては、現在貨物駅が約二千九百ございますが、この配置が大体四キロから五キロに一つ、これは明治初年の荷馬車時代の貨物駅の配置でございまして、現在トラックと道路が整備された以上、これを大体半分に減少することができるだろう、こういうふうに考えております。
○磯崎説明員 けさほど社会党の久保先生のお話もございましたが、現在一番人をよけいかかえておりますのは長大赤字線区と申しますか、非常に大きな赤字線区の問題でございまして、この駅の配置が昔と同じように、人力車あるいは荷馬車時代の駅の配置になっている、大体四キロに一つというふうな配置になっております。
それは繰り返し申し上げますように、通運業の業態のあり方というのは通運業法というか、そういうものができた当初は、言うならば鉄道とそれをつなぐところの輸送、その輸送は、言うならば荷馬車あるいは手車という時代のままの制度が引き続き今日まできていると思うのです。
○保利国務大臣 国道それ自体が、とにかくこの十数年前までは今日を予想するような自動車の状態でなしに、極端に言えば、荷馬車の通る道路が国道みたいなものだった。それが今日この大量の、しかも大型の自動車がふくそうする——これはまあ日本の経済、産業のとにかく飛躍的な発展の姿でございます。これをまかなっていくということに忙殺されておる。そうしなければ国力の発展というものはまた期しがたい。
自動車で歩こうと、荷馬車で歩こうと、勝手なわけであります。
たとえば陸上において荷馬車一台で、あるいはオート三輪一台で運送業を営む者もございます。それから何百台、何千台のトラックを持って運送業を営む者もございます。しかし、これはいずれも運送取扱業者としての範疇に属していると思うわけでございますが、事海運に関しては、この区別をすること自体についてどうもわれわれには理解しにくい。